こんにちは、慎です!
前回の
「体幹トレーニング」記事
多くの方に共感していただき、
ありがたい限りです。
僕がやっているようなことは
現代では異色にみえるかもしれませんが、
一人でも多くの方の知識の糧となることを
願っています。
今日は個人的な宣言というかなんというか。
タイトルのまんまですね。
はい、筋トレ辞めます。
と言ってもこれまでも
筋トレはほとんどしておらず、
やっていたのは気分で自重トレ
くらいでした。
まぁほとんど意味なかったでしょうね。
それすらも今後は辞めたいと思います。
「武学稽古」
この一本に専念していきたいと思います。
まずは前回の記事でも書いた通り、
「垂直に立つ」
ということを知ることを目指して。
そしてそれによって自分の身体が
どのように変化していくのか?
それをまた多くの方に
シェアして生きたと思います。
僕がなぜここまでするのかと言えば
「可能性の探求」
これにつきます。
自分の可能性
人類の可能性
宇宙の可能性
「武学」
にはそれを紐解くヒントが眠っています。
というか自分の身体にそれが眠っています。
人間は
脳の領域で3~4%、
DNAで5%しか使えていない。
というのはよくある話ですよね。
「武学」はこれをどうやれば
すべて使えるのか?
ということを探求しているとも言えます。
人が脳の領域、DNAを
すべて使えるとしたら
どうなるんでしょうね?
そう考えるだけでロマンがあります。
今現代で行われている多くのことは
「限界の追求」
です。
なのでスポーツ界では
「選手としての寿命」
が存在しています。
筋肉やスピードなどに
視点がいっている結果です。
筋肉やスピードには
年齢的なピークがあります。
そしてトレーニングを積み重ねなければ
元に戻るか、年齢によっては衰える場合もあります。
いくらトレーニング業界が発展したとしても
「限界の追求」
に変わりないので、
一生現役。
なんて選手は出てこないのでしょうね。
まぁ世代交代や限界を追求してる姿のかっこよさ
などもあり、それが人々を魅了し、経済を潤わせている
という面もありますがね。
その点
「可能性の探求」
の武学は
経験を積み重ねるほど上達していきます。
武学の稽古では
筋肉・パワー・スタミナなどではなく
「エネルギーコントロールの微細さ」
をつかむことをしていくので、
年齢的なピークがないのです。
なので、歳を取れば取るほど上達していきます。
よくYoutubeなどでも
老人の達人(もはや仙人)に
若い衆がどんどん投げられたりしている
動画がありますが、
「限界の追求」
の視点しかないと
・やらせだろ
・演技演技
という思考がでてきます。
「こんな世界があるのか!」
と多くの人に飛び込んでもらいたいですね。
まぁ達人とよばれる人には
そうそう巡り合えないと思いますが…
と話は長くなりましたが、
今後も僕は異色なことを
やっていこうと思います。
それが
自分の可能性だけでなく
日本のスポーツ界の可能性
にも繋がると確信しているからです。
ちなみにバスケでの僕の目標は
死ぬまでスリーポイントを軽く打つ。
むしろ死ぬ瞬間が一番軽く届く。
って状態です。
では今回もありがとうございました!
僕が筋トレを辞める日
07.17
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